話が面白い人とつまらない人の違い
今回はトーク力についてです。
グリム童話の赤ずきんはご存知ですか?
可愛らしい女の子がおばあさんになりすましたオオカミに食べられてしまう話です。
世界最古のオレオレ詐欺、もといオバオバ詐欺の犯行録ですね。
幼稚園や保育園、小児科の待合室でボロボロになるまで子どもたちに愛されてきた本を見かけます。
一番有名なシーンはこちらです。
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赤ずきんは言いました。
「ねぇおばあさん、どうしておばあさんの
お耳はそんなに大きいの?」
すると、おばあさんはこう言いました。
「それはね、お前の声をよく聞くためだよ」
「だけど、目もとても大きいわ」
「それはね、お前をよく見るためだよ」
おばあさんは返事をしました。
「でも、お口も恐ろしく大きいの」
「それは、お前を食べるためだー!」
言い終わるか、終わらないかおばあさんのフリをしたオオカミは赤ずきんを飲み込んでしましました。
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思い出しましたか?
きっと脳内にはこんな絵が浮かんだのではないでしょうか?
この構図が記憶にあるのは、赤ずきんの物語と私たちの接点が絵本だからです。
どう見ても獣剥き出しのおばあさんコスプレに全く気づかない純真無垢な少女の挿絵を誰もが見てきました。
もしこのイラストがなければ、文章からはこのイメージはできません。
なぜだか考えてみましょう。
童話の特徴でもあります。
他の絵本だとこうなります。
「助けてくれたお礼に竜宮城に
連れて行ってあげましょう」
(亀と浦島太郎の挿絵)
「お腰につけたきび団子、ひとつ
私にくださいな」
(桃太郎にお願いする犬の挿絵)
「決して障子を覗かないでくださいね」
(女性の挿絵)
「私は月に帰らねばなりません」
(悲しそうなかぐや姫の挿絵)
これらの共通点でもう分かりますね。
童話はセリフがメインでイラストで情報を補完しています。
だから難しい表現を使わなくても物語が理解できるのです。
このように文章の中にカギ括弧でセリフを入れるのを直接話法といいます。
児童向けの本ほど直接話法が多用され、難解な小説に近づくほどに減っていきます。
もし赤ずきんが小説だったら、さっきの場面はこうなります。
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ベッドに横たわるおばあさんに違和感をおぼえた赤ずきんは、耳が異様に大きな理由を尋ねた。
可愛い声を聞くためだと嘯(うそぶ)かれ、彼女は不安を募らせた。
改めて観察すると、目も口も、人類とかけ離れたサイズだと気づく。
膝が揺れるのを悟られないように、可能な限り陽気に指摘した途端、獣は本性を現し彼女を飲み込んでしまった。
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勝手な創作なので想像が入っていますが、この文章なら挿絵が不要なのがご理解いただけるはずです。
おばあさんの体勢や異様さ、赤ずきんの心情を説明しているからです。
情景を描写する小説風の文章は直接話法よりも情報量が増えるのです。
なのに、文字数が少ない。
童話版は210文字、小説版は157文字です。
短い文章で多くの情報を伝えられるのは効果的ですよね。
まとめると、、、
直接話法は
・イメージ(挿絵)が必要
・情報が少ない
・文字数が多い
小説風は
・文章でイメージさせる
・情報が多い
・文字数が少ない
さあ、どっちの話し方が好みですか?
後者、ですよね。
(前者が好みの方は漫画を読むのを減らして
小説を読むのをおすすめします)
面白いエピソードを語るときに、「」を使うか否かで、伝わる深度が変わります。
少ない文字数で情報量が多ければ、その分相手とイメージを共有できますよね。
人を魅了するトークができる人は直接話法が少ないのです。
それだけではありません。
短時間でメッセージをたくさん与えられるから、初対面でもすぐに親しくなります。
反対に、直接話法ばかりの人は、あらかじめ共通のイメージを持っていないと話が盛り上がりにくい特徴があります。
「昨日店長が『〇〇ちゃんは苦手だから』って言っててショックだった」
という話に共感できるのは親しい友人や同僚でしょうから、交友関係が内向きになりがちです。
友だちとは話せるけど、人見知りな性格だと自認している人は話し方を変えたら性格が変わるかもしれません。
文章や話し方を考えると、トーク力、ひいてはコミュニケーション能力が鍛えられます。
学習を通して、一緒に成長してきましょう!