童話 浦島太郎を現代風に再編しました。
意外と知られていない結末と、直接話法(「」を使用した文)を控えた文章をお楽しみください。
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浦島太郎
楠山正雄 作
佐藤はじめ 編集
遥か昔、丹後の国に漁師の浦島太郎はおりました。
その釣竿捌きは町でも評判になるほどで、鯛や鰹などの釣果は両親を大いに喜ばせていました。
ある日、いつも通り海へ出かけると、途中、子供が5、6人往来に集まって騒いでおりました。
気になって覗いてみると、彼らは子亀を1匹捕まえて、棒でつついたり石で叩いたり、散々に虐めているのです。
浦島は見かねて子どもたちに生き物の尊さを諭しましたが、彼らは聞き入れずに、石を投げ続けて変わらぬ意思を誇示しました。
正攻法では敵わないと理解した浦島は、“おあし”(お小遣い)をあげて小亀を購入させてもらえないか交渉しました。
子どもたちは喜んで売買に応じて、捨て台詞を残して去っていきました。
浦島は甲羅からそっと出てきた小亀の首を優しく撫でて、暴力に耐えた生命力を称えました。
そして、海端(うみばた)まで持って行って離してあげました。
小亀は嬉しそうに首や手足を動かして感謝を示すと、ゆっくりと泡をたてながら海深く沈んでいきました。
それから2、3日が経ちました。
今日もまた浦島は舟に乗って海に釣り竿を一生懸命投げています。
ふと、後ろの方で聞き慣れない声がしました。
振り返っても人の影は見えないので不思議に思っていると、足元の小さな亀がこちらを見つめているのに気が付きました。
先日の小亀だと思い出すのと同時に、小亀は浦島の目の前で言葉を発しました。
「ありがとうございます」と人間の言葉で、先日のお礼を言われたのです。
非現実な人と動物の会話に戸惑いながらも丁寧に断ろうとしましたが、真剣な顔をした小亀は自らの甲羅に乗るように言います。
浦島は観念して、小さな甲羅に遠慮がちに乗りました。
なんと、小亀は連れていくと言うのです。
噂に聞く、海底の桃源郷“竜宮”へ。
小亀は白い波を切って、両手両足を器用に動かしながら効率よく海底へ沈んでいきます。
徐々に波音は遠くなり、海底の白い砂が見えてきました。
海水の中でも続く呼吸、太陽光が届かないのに明るい海底、そして目の前に突如として現れた目が眩むほどの金銀が施された宮殿。
一切の疑問を処理できずにいましたが、小亀が入口前に降ろしてくれた頃には、考えるのをやめて受け入れる心持ちになっていました。
御殿の中では、鯛やヒラメ、カレイなどの様々な魚たちが出迎えてくれました。
普段釣り上げている魚たちとは違った顔で、浦島と接しています。
建物の内装はオパールの天井、珊瑚の柱、廊下には瑠璃が敷き詰めてあり、煌びやかの限りを尽くしています。
物珍しさに心を弾ませていた浦島でしたが、宝石が散りばめられた大広間に入った瞬間には心臓が止まりました。
たくさんの侍女を連れた乙姫様が挨拶をしにきてくれたからです。
あらゆる宝石が霞んでしまうほどの美しい女性でした。
浦島は小亀を助けた英雄として大層もてなされて有頂天になりました。
珍しいご馳走に、賑やかな酒盛り、侍女の舞いや乙姫様の歌も最前列で満喫しました。
かつてない幸せの連続に、夢の中で夢を見ている気分です。
それから、浦島は乙姫様の案内で御殿の中を残らず見せてもらいました。
どの部屋も綺麗に装飾が施されており、季節の花や虫の鳴き声がするなどの趣向もありました。
何を見ても驚き、呆れる美しさで、目を見張ろうとしながらも圧倒されて眩暈がしてしまいます。
太陽の光が届かない海底での光り輝く貴族の生活は、何一つ文句がないつもりでしたが、時々、久しく忘れていた故郷(ふるさと)の夢を見るようになりました。
春の陽が当たる浜辺で、漁師たちが元気良く舟歌(ふなうた)を歌いながら、網を引いたり、船を漕いだりしている場面を思い出すのです。
そして、今更になって、しばらく家を開けてしまったのを反省しました。
両親は心配していないだろうか。
変わらず元気にしているだろうか。
そう思ってしまうと、いよいよ歌や踊りを楽しめなくなってしまったので、乙姫様に地上へ帰りたいと伝えました。
乙姫様は悲しく悟った表情で理解を示し、別れの準備を始めました。
浦島が最後に秘めたる気持ちを告白しようかと迷っていると、乙姫様は綺麗な宝石で飾った箱、玉手箱を持ってきました。
玉手箱の中には、人間の一番大切な宝が入っていると教えてくれましたが、箱を開けてしまうと二度と竜宮へは戻れないと釘を刺されたので、決して開けないと約束をしました。
浦島は小亀の背中に乗り、元の浜辺へ戻ってきました。
久しぶりに浴びる陽の光は心地良く、一面に広がる海上に、どこからともなく賑やかな舟歌が聞こえてきます。
夢に見た故郷の景色です。
けれど、よく見ると少し違和感があります。
すれ違う人は知らない顔ばかりで、町の色が変わってしまったように感じられるのです。
それに、自宅の方角へと足を進めていきますと、そこと思うあたりには草や葦が茂っていて、家は影も形もありません。
戸惑いと僅かな恐怖を抱えながら町の人に尋ねると、皆、浦島太郎を知らないと言うのです。
訳が分からず目の前が真っ暗になり、途方に暮れた浦島は海辺に戻っていきました。
何もすることがないので海をしばらく眺めていましたが、ふと、玉手箱の存在を思い出します。
変化した町の謎を解く鍵が箱の中にあるかもしれないと期待し、乙姫様の言いつけを忘れて蓋を取ってしまいました。
すると、中から紫色の雲が立ち上って、それが顔にかかったかと思うと、皮膚が重くなり、肩は丸く縮こまって、手には皺が出てきました。
水面には、急速に老いていく自らの姿が映し出されています。
浦島は理解しました。
玉手箱に入っていた人間の一番大切な宝とは「寿命」だったのだと。
時間の概念がない竜宮で過ごした時間が箱に入れられていたのでしょう。
海の底から戻ってくると、町には自分を知る者はおらず、家も跡形もなくなっていました。
おそらく、100年や200年ではきかない期間を能天気に楽しんでしまったのだろう。
浦島はこの先の自分の運命も悟り、海辺に寝そべりました。
春の海はどこまでも遠く霞んでいます。
どこからか良い声で舟歌を歌うのが、また聞こえてきました。
浦島は更に深く皺が刻まれていくのを感じながら、ぼんやりと空を眺めました。
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朗読した動画もあります。
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