身に付かないジャーナリングの方法
英語習得のため、密かに日記を英語でつけています。
難しく考えずにただただ考えを書きだす作業をジャーナリングといいまして、サボりがちではあるものの、一定の効果を感じています
語学において、知識の定着は自ら考えて創作する工程でもたらされます。
稚拙な文章であっても、捻り出した結果であれば適切なアウトプットとして蓄積されていくからです。
反対に、見栄えにこだわって正解を求めようとすると辞書に頼ってしまい”勉強した気になる”だけなのです。
例えば、
辞書で「サッカー」と調べると「soccer」と単語がでて、ついでに例文が山ほど羅列されます。
その中から He is good at soccer. の一文を真似して、I'm good at soccer. と作文すると綺麗な文章が出来上がりますよね。
ただ、これでは身に付きません。
辞書をなぞって表面的な処理しかしていないからです。
頭は使わないと成長しない。
小手先の技術ではなく、自らの現在位置を理解して一歩ずつ重ねていかなくてはなりません。
論文のテンプレ
光栄なことに、佐藤が昨年会社の昇進試験で提出した論文が、今年の論文対策のテンプレとして回っているようです。
手前味噌ではありますが、プレゼンテーション講師として、小論文では会社員とはレベルが違います。
昨日、普段全く接点のない別拠点の営業社員からメールをもらいました。

嬉しいですね。
自分の知らないところで成果物が賞賛されていくのは喜ばしいです。
ただ、佐藤の論文を参考にして書いたとされるそれは酷い出来栄えでした。
佐藤の言い回しや表現をマネしているだけで構成が崩壊していますし、語彙も不自然になっていました。
佐藤を参考にしたら落ちたと言われかねないので、真っ赤に赤ペンを入れて返しました。
もはや別人の論文です。。。
すると、

と喜んでくれました。
彼女はきっと合格します。
”彼女の”論文は、来年の参考論文として拡散されるでしょう。
そして後輩に聞かれます。

と、、、
・・・。
そのときは、私は知りません。
頭は使わないと成長しない。
私の優先は受講生の添削です。
受講生が生み出したアウトプットを修正して成長に導きます。
メールをくれた彼女の論文への添削はもはや制作し直しと同義なので、彼女にとってのプラスはありません。
受講生のように、考えた末にでてきた文章を更に良くして返すのは、脳にとって大変刺激的で、技法を習得させます。
講師の添削は、成長と共にあるべき。