永遠に続く校長先生の話
世の中の子どもたちはまさに修了式や卒業式をしている頃でしょうか。
体育館に集まって年度の結びを行い、最上級生は学び舎で過ごした思い出を振り返ります。今はオンラインで行う学校もあるようですね。
友だちや先生と直接会えない記念日は、物足りないでしょうから寂しいと思いますが少々羨ましくもあります。
幼少時代の私は、体育館の冷たいフロアに座るのが嫌いで、立っていても貧血で視界に星が舞うので式典の類が苦手でした。
特に、校長先生の話。
一番のボリュームゾーンであり、おじいさんの声以外静寂に包まれる時間は、楽しかった修学旅行やみんなで汗を流した運動会よりも鮮明に蘇ります。
長いですよね、、、校長先生の話。
(そうでない先生もいらっしゃるとは思いますが)
失礼ながら、忍耐力を養成するために敢えて苦行を与えてきているのではないかと思うほどヘトヘトになりました。
そのおかげか自然な成長によるものか、大人になってからは多少他人の長話を聞けるようになりましたが、今でも会社の朝礼でたまにブラックアウトしそうになります。
一方通行から、コミュニケーションへ
当時、体育館の高所に掛かっている時計の針はとてつもなくゆっくりと進んでいた気がします。話の内容は覚えていませんが、シンプルな時計のデザインは記憶に残っています。
きっとタメになる話をしていたでしょうに勿体ないことをしました。
長い長いとは思っていましたが、おそらく10~20分程度でしょう。
当時45分の授業を一日5つも6つも受けていた小学生が20分の話を苦痛に感じるのはなぜでしょう。
体育館のような広い空間は催眠効果があるのでしょうか。
それとも、友だちとの距離が近いからついついちょっかいを出してしまっていたからでしょうか。
一番の理由は、校長先生が一方通行だからです。
普段の授業では先生の話を聞いていないと当てられたときに答えられませんし、テストでは高得点が取れません。
だから、なるべく頑張って受けるようにします。
反対に、校長先生の話は聞かなくても誰かに怒られるわけでもなく、成績にも影響がない。脳は自然と話への注意を怠ります。
校長先生が悪いのではなく、元々子どもたちが集中して聞ける要素が少ないのです。
大変ですね、校長先生って。
もし私が将来校長先生になったら、生徒に少しでも参加してもらうために問いかけを多くします。
などの質問です。
なんだかブログのタイトルみたいですが、たしかに意図する仕掛けは同じです。
興味を持ってもらって、それぞれの頭の中で考えてもらえば、一方的な話ではなく、参加してもらえるのです。
”一番頑張ったのは県大会に行ったバスケ部のキャプテンかな?!”
などと考え出したら、それを確かめるために前のめりに聞こうとするので、所作に現れます。
子どもたちの聞く姿勢が変われば、話者にも伝わるので、子どもたちに、より話しかけるように意識できます。
問いかけを効果的に使うと、校長先生は情報を伝え、子どもたちは聞きながらリアクションをするコミュニケーションになります。
こんな記事を書くと学校関係者から「子どもの扱いはそんな単純じゃない!」と怒られそうです。
ですが、大人になってもスピーチや講演会で長い時間聴衆を魅了できる人は上手く問いかけをしています。
ほとんどの人が経験した幼少期の体験から今の話し方を再考してみましょう。